それからはただひたすら歩いた。
繋いだ掌から互いの温もりを感じる…それだけで言いようのない充足感。
自分の足で歩いている感覚が無い。
宙に浮いたような気分、周りを流れる景色は夢の光景のようだ。
気付けばもう互いのマンションへの分岐点に来ていた。
どちらともなく立ち止まってしまう。
「えっと‥‥」
以前にも同じ様な状況があった、そして今もその時と同じ気持ちでいる。
――離れたくない。――
以前と同じ事を言うのは気恥ずかしいのか、かなめが言葉を詰まらせていた。
するとふいに宗介がかなめの手を引いて歩き出す。
かなめのマンションに向かって。
「君の部屋まで送ろう」
「え?」
宗介はそっぽを向いておりかなめからは表情が見えないが、耳が真っ赤だった。
「…嫌だろうか?」
宗介がそっぽを向いたまま、訊ねる。
そして、一呼吸置き、意を決したように彼女を振り返ろうとした、その瞬間。
「ううん‥‥、
‥‥ありがと。」
かなめに向き直った宗介の瞳に、彼女の笑顔が飛び込んできた。
それは心底嬉しそうで‥‥、
じわり、じわりと。
胸の凍りを少しずつ溶かしていくようだった。
―幸福とか、愛情とか。
自分には良く解らない。
けれど今この瞬間、解った気がする。
一歩一歩を惜しみながら、面映ゆい感覚を噛み締めながら歩く、
いつまでも。このままで‥‥
願い虚しく、二人はついにかなめの部屋の前にたどり着いてしまった。
「じゃあ‥‥」
「じゃあ‥‥その‥‥」
宗介が何か言いかける。
「うん?」
「‥‥いや、また明日」
言葉が喉でつっかえて出てこない。
‥‥今なら何か、伝えられそうなのに。想いは胸で溢れているのに。
宗介が月並みな返事に後悔していると。
「え?」
かなめが意外な反応を見せた。
「‥‥?どうかしたのか?」
「明日ってソースケ、あはは、やだなー明日は日曜日よ、明日学校行ったって単位は貰えないわよ」
「あ、ああそうか‥‥日曜‥‥」
他愛無い会話の途中、宗介が急に言葉を止めた。
「いや、確かにそうだが曜日は関係ない。」
「え…?」
何か冗談かと笑うかなめを、彼の真摯な眼が貫いた。
「会ってはダメだろうか?」
眼を丸くするかなめ、
宗介は返事も待たずに続ける、
一旦溢れ出てしまった想いは洪水の様で
自分でももう止められなかった。
「明日もまた、会いたい。
明日だけじゃない、ずっと…何時もだ。
…君に会いたい。
そう思ってはダメだろうか?」
「ソー‥‥」
かなめが何かを言いかけたが言葉にならなかった。
彼女の唇を彼の唇が塞いでいた。
―‥‥もう、自分でも止められなかった。
軽く触れるだけのキス。幼いキス。
だけど守るような、愛しむ様な
とてもとても優しいキス。
続く
何時もの家路、何時もの商店街を二人で歩く。
互いに先程の空気を引き摺っているのか、どうもぎこちない
宗介は鼓動の高鳴りに気持ちが焦り、自然と歩調が早くなっていた。
「‥‥きゃ!」
自分の後ろでかなめの声がして初めて我に返る。
歩調を合わせようとしてくれていたらしいかなめが不意につまずいてしまったのだ。
とっさに受け止めようと振り返るが、
家路を急ぐ人々の波に一瞬かなめが攫われ姿が見えなくなってしまった
――奪われてしまう――
「千鳥!!!」
何故か宗介は必死だった。
程なく彼女が現れたにも関わらず、夢中で彼女の姿を探していた。
「へ?」
かなめがキョトンと事無げな表情を見せる。
「千鳥‥‥」
心底ホッとしたような表情を浮かべるので、かなめが不思議そうにしていると
「あ‥‥。」
―ふいに、彼は彼女の腕を掴み強く引き寄せた。
かなめが反動で宗介の方に倒れ込み、
鼻先が彼の制服の胸元を掠める距離で止まる。
硝煙の匂い、大きな手、広い胸元
シャンプーの匂い、微かに甘い匂い、柔らかな温もり
そして互いの命の音。
――ここに居る‥‥――
至近距離で互いの存在を感じると、
痺れた様な感覚に陥り、時間が止まったかのようにさえ思えた。
『チリンチリン‥‥‥‥』
後方から来たおばさんが自転車のベルを鳴らして二人の真横を通り過ぎる。
はっとかなめがいち早く我に帰った。
「あ。あの‥‥」
「す、すすまない千鳥‥‥!これは‥‥、その」
宗介がバツの悪そうな顔をして、かなめから離れようとする。
(突然驚かせてしまっただろうか‥‥?)
額にはびっしり汗を浮かべていた。
ところが、かなめは逆に歩み寄り右手を彼に差し延べて来た。
「こうすれば良いんじゃない?」
かなめは気恥ずかしそうに下を向いたまま、その白い手で彼の手に触る。
「こうすれば‥‥離れないから‥‥。」
そう続けて、控えめに宗介の中指の辺りをかなめの指が撫でた。
「あ、ああ‥‥」
宗介はおずおずと、触れた手を握る。するとかなめがキュッと握り返してくれた。
続く
ネタ度 ☆☆☆☆☆
シリアス度 ★★★★★
ラヴ度 ★★★★☆
割と重めな話ですが、前向きな内容・・・だと思います。
OMO~NOT未読の方は見ないほうが良いかも知れません。
あと私的解釈バリバリなので設定がおかしなところとか
ファンタジー要素入ってますのでご注意下さい。
青空には僅かにピンク色が混じり、
窓からは柔らかな日差しが差し込む、都立陣代高校の放課後。
校舎は明るい生徒達の笑い声で溢れていた。
彼は廊下を歩いていた、足取りは軽い。
拡がる景色が目に映る。
―何時もの光景、ただそれだけの光景―
けれどただそれだけが、何故か今日は夢のように素晴らしく思えた。
「あ、相良くんだー!」
「おー相良ー!」
ぼんやり考えいると後ろから声をかけられ、彼は、相良宗介は振り返る。
声の主は眼鏡に三編みの少女と髪を黄色にした少年、
クラスメイトの常盤響子と小野寺孝太郎だ。
恭子が何をしていたの?と尋ねてきた。
「職員室に。用事を済ませていた。」
「職員室て…あー、相良君また神楽坂先生に呼び出されてたね。」
「む‥‥。」
またかよ、と笑って孝太郎が親しげに話しかける。
「…で、これから帰るのか?良かったらこれから‥‥ってそっちは昇降口じゃないぞ。」
そこで恭子がすかさず割り込んだ
「ちょっとオノDー、オノDてばヤボなんだから~、
相良君はこれから大事な用があるんだよ、だから私たちは早くかえろ♪」
「は?‥‥あ~‥‥、良いのう若いもんは、仲のよろしい事で結構結構‥‥」
「はいはい一緒に帰ってあげるから。じゃあね~相良君」
恭子は恨めしそうな孝太郎を強引に昇降口へと引っ張る。
はあっと、項垂れた孝太郎が後姿のまま手を振り、
笑いながら恭子がコチラを振り返り大きく手を振る。
「ああ。また。」
彼なりの親しみを込めて彼らを見送ると、宗介は向きを変え『彼女』が待つ教室へ向かう。
‥‥何故か不意に彼女がそこに居るかどうか不安になった
――早く、早く会いたい
しかし彼女は、千鳥かなめはちゃんとそこに居た。
彼女の背後から西日が差込み、ひどく眩しい気がして一瞬目を細めてしまう。
逆光となって彼女の輪郭だけを浮かび上がらせていた。
彼女がコチラに気付き近づいてくる。
それにつれ徐々に彼女の姿が映し出される。
細い手足がハッキリと見え、彼女のスカートが風で揺れるのを確認し、
そして最後に、はにかんだような彼女の笑顔を見つけた。
大切なものを隠した幕が、一枚一枚、あがって行くようだった。
ぼーっと見とれていた自分に気付いたのか、慌てて目を伏せ
「もうどうしたのよ」 と小突いてくる。
「あ、ああ‥‥。申し訳ない。‥‥呆けていた。‥‥その、‥‥帰ろう千鳥。」
宗介は訥弁に、しかも思わず自分の状況をそのまま答えていた。
「ぷっ、何それ!?」
その様子が可笑しかったのか、軽く吹き出してから、満面の笑顔をコチラに見せた。
先ほど宗介が自分を見ていた事に動揺しているのか、まだ少し頬が紅く、
まるで花の様な、鮮やかな笑顔だった。
その笑顔に、宗介の心は一瞬にして捉われ、自分の意志とは無関係に鼓動が高鳴る。
まるで高熱にでも浮かされているような気分だ。
暫くしてお互いが黙ると、妙な空気に包まれる。
『意識』してしまっているのだ。
「ソースケ‥‥帰ろうか?」
「あ、ああ」
堪らずかなめが切り出し、校舎を後にした。
続く
「なっなななな…なに言って」
「さっき言ってたじゃない。」
依然悪気の無い微笑を向ける恭子にかなめは何も言えず口元を引き攣らせ汗を流す。
そんなかなめに構わず宗介がベラベラと喋りだす。
「千鳥、これは不審物では無い、君の為の薬だ。
…それより気付かなくてすまない、千鳥。辛いだろう。
君の症状は激戦下、強いストレスと栄養不足にさらされた兵士に良く見られる。
そんな兵士たちを俺は何度も見てきた。
その苦しみ様といったら、尋常では無かった。彼らの鬼気迫る顔を俺は忘れたことは無い。
俺のとある上官(中国系アメリカ人)などは、その苦しみに耐えかね
聞き分けの無い部下(江戸川区出身)を一人半殺しにしていた。…恐ろしい事だ」
「いや、ちょ…!ちがっ…」
なんて誤解だろう…!!なんて恥ずかしい!!よりによってコイツに?!(本人はなんとも思ってないにしろ)
しかもクラスのど真ん中で何やら珍しいものを片手にした宗介は異様に目立って(浮いて)いた。
内容が内容だ、こんな事が皆に知れたら…
顔を真っ赤にしてかなめは宗介の口を手でもって塞ごうと試みる
しかし、そのほっそりとした腕は、いとも簡単に宗介の大きな掌に捕らえられてしまった。
「落着くんだ。問題無い、こんな時こそ、これだ千鳥。」
ずいっ と宗介はかなめにその怪しげなビンを押し付ける。
その時かなめの脳内には『相良軍曹の黒いTVショッピング~入手ルートは言えないが問題無い~』という意味の解らない映像が浮かんだ。
…つまり大分混乱していた。
「ちょっ…話を聞きなさいよ…ってこれなんかドス黒いけど!?ドロドロしてるけど?!!
うわっ…なんかあったかいし…書いてある字も読めない…
ってかこれバイオハザードマークってヤツじゃないの――?!」
「それを飲むといい」
……
「…んあ゛ぁ―――っ!!!!!」
その返答にかなめはがくりとうな垂れ、がしがしと頭を掻き毟る。
「あ、あんたってヤツは~……だーかーらぁ~…」
「何だ千鳥、苦しいのか?やはり早くこの薬を!
君は便…」
「言・う・なぁぁあああああああ―――!!!」
バっチーン!!
どんがらがっしゃ!!!
****
机や椅子とともにハリセンのフルスイングにシバき倒された宗介がむくりと起き上がる。
「なかなか痛いぞ千鳥」
「どやかましいわ、この無自覚セクハラ戦争ボケ男!!!!
あんたなんて、あんたなんてっ…、マズイマズイと巷で有名な『焼肉味のぼん太君チョコ』でも食って
一人だけ美味いとか言ってしまって恥をくが良いのよ!
皆に馬鹿にされて暮らすが良い!!辱めを受けるが良いわ!!…うわーーーーーん!!」
「良く分からんが、何故泣く千鳥?!そんなに辛いのか君のその…」
「こおのバぁカぁああーー!!」
「痛い痛い痛い…」
****
「あ~あ~」
とんぼメガネの天使がくすくす笑っている。
何時の間にかクラス中の視線は騒動の中心の二人に注がれていた。
それもその筈、
ひょんな誤解が大騒動に変わった頃にはとっくに授業は始まっていたのだから…。
「へあっ…?」
事態を飲み込めず、かなめは思わず間抜けな声をもらし固まる。
「何が…?」
ようやくかなめが尋ねた。
「千鳥、大変だったな」
「かなちゃんお待たせ」
「いや…千鳥ー許してくれよ…」
かなめを囲む面々は一斉に答えるので何を言ってるのか解らない。
「一遍に喋んないで!だから一体何だってのよ!」
かなめが問うと、まず恭子が答えた、
「かなちゃんまだ苦しいんだね…でももう大丈夫だよ!」
「え?」
「肯定だ、千鳥安心しろ。俺が助けてやる」
「は?」
「なんか知らんけど悪かったよ千鳥ー!」
「はあ…」
何故か一人必死な様子の孝太郎だけが方向が違うような…。
頭にクエスチョンマークが浮かぶかなめ、
対して宗介は彼の言葉に鋭く目を光らせた。
「なに?小野寺、千鳥の件はお前が悪いのか?
訳が分からんがどう言う事だ?
説明を要求する。事と次第によっては…」
「だーっ!うっさい!」
がたっ
と音を立てて座っていたかなめが勢い良く立ち上がった。
「だから一気に喋ってんじゃねーわよ!!
大体オノDは何!?
暴力反対とか人聞きの悪いわね…訳分かんないわよ!」
言うとかなめは孝太郎の方をみやる
すると孝太郎は首をかしげていた。
「へ?怒ってんじゃ…」
「はぁ?何のことよ?」
……
沈黙。
…何やら気まずい空気が流れる中、突然孝太郎が ぽんっ と両の手を打つ。
(まさか……これは……
……勘違いか…!)
「あーすまん千鳥ぃ~……?」
ほっとした孝太郎はようやく声をかけようとかなめを見る、…が。
(――…何?!)
再び孝太郎は凍りついた。
何時の間にかかなめは腰に手を当て厳しい眼差しで孝太郎を見据えていた。
どうも理解し難いこの状況、いよいよかなめは苛立ち始めていたのだった。
「何よ…?」ずいっ
「あ…え?…いや…!」
「何っ?!」ずいずいっ
―その時彼の本能が「逃げろ」と警告した。
「ハハハ…!うん…いい天気だな~!
あーこんな日は散歩でもすっかなあ~。」
「え…オノD授業始まっちゃうよ…」
恭子が突っ込むが孝太郎は気が気でない。
「あー…うんそれがいいかな!
というわけで……千鳥、アバヨ!」
「はあ!?」
全く訳が解らないという具合のかなめを置いて、孝太郎はそそくさと退散した。
「待て小野寺説明を…!」「あんたが待ちなさい、このトーヘンボク!」
すかさず孝太郎を止めようとする宗介の首根っこにかなめがチョップを繰り出した
「何をする千鳥」
「や・か・ま・し・い!
説明を要求するのはこっちの方よ!
イキナリ何なのよ恭子まで!!
私がどーしたってのよ、何なのよその右手の不審物は!!!」
噛み合わないやりとりに苛立ちも臨界点に達したかなめは一気にまくし立てた。
すると思いもよらない返答が、無邪気な瞳の恭子から飛び出したのだ。
「何ってかなちゃん、便秘で辛いんでしょ?」
「そう、私は便…って、はぁあっ!!!?」
かなめが目を見開いて驚きを顕にする、
最初は最早言っている意味が解らなかった、恭子の言葉を脳内で反芻し、
言葉の意味を理解すると次にダラダラと汗が噴出した。
続く