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の続き。



かなめは頭痛を噛み殺す。
しかし胃まで到達した泥の匂いが吐気を誘う。
空気は湿気を含みすぎて重く淀んでいた。

夢を見ていた。
中学生の時の夢だ。

暗い道を走っていた。
大嫌いな雨が降っている。 いや、その時は嫌いでは無かったのかもしれないが。
それはいい、逃げなくては。
‥‥頭が痛い。

もうお母さんは居ない。妹も、父すら居ない。自分は独りぼっちだ。

「生意気なのよあんた」
「調子のんな」
「バーカ」

浴びせられる罵声。
無視しても、抵抗しても、どこまでも、どこまでも追いかけてきた。
ぬかるんだ泥道を裸足で走り、懸命に足かく。
けれど上手く力が入らない、同じところで足踏みしている様な気すらする。
‥‥頭が痛い。

――助けて、助けて!

だけどもう居ない、大好きなお母さんも、誰も‥‥。

残酷な少女たちの言葉とドロドロとした、漆黒のコールタールの様な‥‥何か得体の知れないものが容赦なく彼女を追い詰める。
やがてその黒い何かが彼女の足元を捉え、あっという間に身体半分飲み込んでしまった。

――いや、イヤだ、離せ!!

彼女は尚、必死であがいてもがくけれど、もがけばもがくほどコールタールの海に身体は沈んでいく。
息が苦しい、声が出ない。頭が痛い。

――お願い、誰か‥‥誰か‥‥‥‥

もう誰も来ない事は解っていた、それでも尚、悲壮に満ちた魂で、彼女は呼び続ける。

――助けて‥‥

しかし無情にも黒いドロドロは彼女全てを飲み込んでしまった。

――駄目だ、もう‥‥

力尽きた彼女を待っていたとばかりに底なしの闇が喰らおうと口を開け、その奥底で何かが囁いた。

‥‥も‥‥解って‥‥‥‥お前は私の‥‥世界‥‥リセットを‥‥

何故か解った、それは決して聞いてはいけない声。
気丈に封じてきた魔物。それが弱みにつけ込んで今箍が外れようとしている。
外から聞こえていたと思われたそれは、やがて鮮明に頭蓋で反響を始める。

過去と未来が交差しようとしている、時間の概念が乱暴に捻じ曲げられようとしている。
頭が酷く痛い、今在る自分の存在の根底が削除される、恐い、恐い、恐い。

――いや‥‥。
――いや、いや、そんなのはいや‥‥!!

強く願った、その時。

――!!

何かが闇を切り拓いた、いや、原始的な力でこじ開けた。
それから自分の手を掴んで、次の時には一気に闇の中から引きずり上げた。
強いたくましい力、そして温かい力。
決して彼女の手を離す事無く暗闇から明るく輝いた世界へと連れ出してくれた。
それはボンヤリとした光。

――‥‥誰?

雨は何時の間にかあがっており、自分は中学生ではなかった。
頭上には突き抜けるような青空と太陽、そして隣には彼女を未来永劫照らしだす確かな光。
彼女はゆっくりと歩み寄る。

――‥‥ねえ、あなたは、一体。

触れようと手を伸ばす。

――‥‥‥‥誰?

触れた。
掌に、温もりが伝う、じわじわと孤独が埋まる。
その光はあまりにも眩しくて、優しくて、両の眼から勝手に暖かいものが伝っていた。



アセトアミノフェン
リン酸ジヒドロコデイン
カルボシステイン

(‥‥‥‥?)

どこからか訳の分からない、恐らくは化合物か何かの羅列が聞こえてくる。
例によって『持病』の電波傍受だろうか。‥‥いや違う、聞き覚えのある声‥‥。

「ぶつ‥‥ぶつ。 臭化水素酸デキストロメト‥‥、塩酸メチルエフェド‥‥」

かなめがぼんやりと目を醒ますと、そこには見慣れた顔があった。
ザンバラ髪にへの地口、力強い、しかし心なしか充血したような眼。

「ソースケ‥‥。」
それまでなにやら書類に眼を通していたようだったが
呼ばれるや否や、その相手はハッと振り返って大きく目を見開いてじっとかなめを見つめた。
しかし暫くすると、普段どおりの落ち着いた、冷静な態度で返した。
「‥‥千鳥、気付いたか。」
「‥‥うん。‥‥あたし、寝ちゃったの?」
「そのようだ。、昨日の夕方から。君はその間ずっと眠っていた。」
そう、と眠そうに頷くと、かなめはうーんと伸びをしながら言う。
「あたた‥‥、あーなんかボーっとするー。 今何時ぃ?」
「3時だ、夜中の。」
「そう、3時、‥‥て3時?!」
「間違いなくそうだが。」
「‥‥ソースケ。ずっとここに居たの?」
「ああ。」
「あの‥‥ずっと看病、してくれた、とか?」
「‥‥いや、その‥‥」
宗介は否定も肯定もせず、ただただ落ち着き無くアチコチ目配せしていた。
そこでかなめはふっと自分の右手の感覚に気付き眼を落とす。
「あっ」
「むっ‥‥」
なんと自分の右手と、宗介の大きな手が繋がっていたのだ。
瞬時にお互い手を慌てて引っ込めた。
「す、すまないこれは、その‥‥」
「い、いや‥‥」

なんともぎこちない、気まずい空気が流れる。
その時かなめは、繋いでいた右手がしっとり汗ばんでいる事に気付く。
随分長い間‥‥繋いでいてくれたのだろうか‥‥。

恥ずかしさが臨界点に達して、間が持たないかなめは無意味にケータイを手に取り弄るが‥‥。
リダイヤルを見るや、眼を疑った。
(え、何この発信履歴‥‥。)

昼前の恭子へのものは覚えている、恭子の着信に対してかけなおした時のものだ。
会話の内容も。
「カナちゃんが居なくて相良くんが物凄く寂しそう」とか「多分相良くん帰りにお見舞いに行く」とか、そればっかりだが。
問題はその後、数分おきの数回の発信、それは全てその宗介に向けたもので。

‥‥確か恭子と話した後、急に具合が悪くなったのだ。
高い熱が出て、身体中のアチコチが痺れた様に痛くて、嫌な夢をたくさん見た。
内容は良く覚えていないが、恐怖と悲しみの欠片がまだ胸に刺さっている感覚がある。
熱くて、痛くて、恐くて、このまま一人で死んじゃうんじゃ無いかって。

恐くて、寂しくて。‥‥そうだ、その時だ。あたしは無心に彼を呼んで‥‥。


「あーごほん。その、なんだ。 君はどうやら流行性ウィルスによる感冒らしい。」
突然宗介がうそ臭い咳払いをして喋り始めた。
「えっ、あ。 ‥‥感冒、ああ風邪。 やっぱそうなんだ。」
「しかし、こいつがどうも拗らせると厄介らしい。 昨日の君のように酷い高熱にうなされる様だ。それも1週間」
実のところかなめの容態はもう少しで脳に影響を及ぼすのでは無いか、という程重かった。
が、宗介は黙っていた。
「げっそれマジ?サイテー。 あれ‥‥でもあたし、今割りと平気だよ?」
「そうだろうな。治療は既に施した。」
宗介はにわかに明るい眼で堂々と言い放った。どこか待ってましたと言わんばかりだ。

「え?そーなの?! お医者さん呼んでくれたの?」
「いや、医者など必要ない」
「は?」
「このウィルスは新種だ。ウィルスは時に人類を存亡の危機に晒す恐るべき兵器になり得る。
だから、これに関しては民間の医療機関よりも、我々ミスリルの方がより高度でより確実な知識と対処法を所持している。」
「‥‥つまり?」
「情報と必要な物資を取り寄せた。 これがまた、なかなか手こずった。
 何しろ、治療薬の物質の一つが揮発性でな。真空パックから取り出すと数分で気化する。 だから調合して直ぐに投与しなければ効果が無いのだ。」
「‥‥つまり?」
「俺が調合した。」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「そして既に注射した。これを」
宗介は胸をはって、その調合物を差し出す。
濁っていて、試験管の中で何かブクブクと細かい気泡が躍っている‥‥。
理科の実験でスチールの板を溶かした時と良く似ており風邪薬というよりも、どう見ても酸性の劇薬にしか見えない。

成分分析をしてみよう、例えば某解熱鎮痛薬の半分は「優しさ」で出来ている。
一方この目の前の液体はどうだろう、その半分は「ボケ」で出来ているのではないだろうか?

かなめの脳裏に意味の解らない映像が浮ぶ。
戦争ボケがコタツでみかんをもごもごしながら、冬の風物詩の風邪のCMに出ていた。
その傍らで自分に良く似た仔猫と、ムスっとしたとこがチャームポイントの仔犬がみかんを転がしてじゃれていた‥‥それはどうでも良いが。
何を宣伝したいのか正直解らない、ボケがみかんを食べているだけ、いやチラリと一度コチラを見た、つられて犬と猫も。目が合った、ユルイ。なんというやる気の無さ。
そして最後に『死の総合感冒薬』というテロップが流れ‥‥。

「うわああああああああああああああああ!!!」
突然かなめは暴れ出した、まさに狂気の沙汰。
すっかり落ち着いていた心中を宗介は再びかき乱された。
「どうした千鳥」
「死ぬ!絶対死ぬ!!」
「落ち着け、言っただろう、君には治療を施した!俺が調合した薬で!!」
「だから死ぬ!!余計死ぬ!!より、一層盛大に!!」
「わ、訳がわからん!!」
「ていうか、揮発性とかそういうのって血液にぶち込んじゃって良いわけ?
 点滴の管に空気入れてさ、これでノブヒコさんは私のものよくくく‥‥とか。
 ほら、殺しちゃうじゃない?火サスとかそういうノリよ。 い、今更だけど大丈夫なの?!」
かなめがご丁寧な演技を交えて必死な訴えをしているが宗介は余計混乱している。
「カサス‥‥?ノブヒコ? いや、問題ない、揮発性物質といっても投与すると直ぐにヘモグロビンの合成、修復を経て、効率的に体内に送り込まれる‥‥、とこの書類にもある、今読んだのだが。」
「‥‥へーなるほどねって今読むなっ!!
 投与する前に読みなさいっ‥‥‥‥ってあれ‥‥‥‥‥‥。」
がばっと半身を起こして、ソースケに強く言おうとするが、その瞬間世界が廻った。

「千鳥‥‥!」
「‥‥‥大丈夫、ずっと寝てたから、ちょっと眩暈が‥‥。」
「全く病み上がりなのだ、無茶をするな」
「ごっごめんなさい‥‥‥‥‥‥。」
死ぬだのなんだのわめいたが、あれだけ騒げれば最早健康だ。
今更ながら自分の行動をかなめは恥じて大人しく呟いた。
それから、宗介が再び酷く不安気な表情で彼女を見ている事に気付く、おまけに徹夜の作業で憔悴の後が色濃く残っていた。

「ごめんね。」
申し訳なさと、嬉しいような複雑な気持ちが入り混じった表情でかなめはもう一度言った。
心許無げにはにかんだその表情は、初めて見る彼女で、経験値の乏しい少年の心を打った。
そんな事など彼女は気付きもしないが。

宗介は謝られているにも関わらず、彼女に酷く悪い事をしたような気になっていた。
罰が悪そうに俯き、いや、だの、う、だの呟いて、それからそそくさと台所の方へ引っ込んでいった。
「ソースケ‥‥‥?」
何時も以上に謎の行動をとる彼を訝って向かった先を見やると、直ぐに彼は戻ってきた。
皿か何か、手に持っている。かなめに近寄るとおずおずとそれを差し出して、言った。
「千鳥‥‥その、これを。」
「‥‥?」
差し出したそれは、リンゴだろうか。なんとも不器用な‥‥妙なカタチをしているが‥‥。

「ん‥‥‥‥これもしや、ウサギさんリンゴ?」
「ウサギさん? ウサギだったのか?この切り方は‥‥。」
「あんたは何だと思ってこれを‥‥。というかどうしてこの形に?」
「いや、君は何時もこうして出してくれるだろう。 俺は通常林檎は丸かじりと決まって いるのだが、この形状だと、心なしか普段より美味い気がして。 そういう特殊な調理 術では無かったのか?」
「は‥‥‥‥?!」
ウサギ林檎にタネも仕掛けもある筈も無い。それをこのバカは‥‥。
そうじゃないのよ、と正しく教えてあげたかったが‥‥。

かなめは無骨な手で一生懸命リンゴに細工を施す彼を想像する。
以前自分が何気なくそうした事に、小さな感動を覚えて律儀に彼は心に刻んでいたのだ。
そして今、こうして弱った自分にその想いを返そうとしている。
そんな場面が、彼の不器用な想いが、ウサギだかなんともつかない林檎に詰まっていて、かなめは何も言えなかった。

「常盤に、病気の際には何か喜ぶものを贈るのが常識と聞いた」
「‥‥えぇ?キョーコってば‥‥。」
「しかし、すまない。焦っていて‥‥。目ぼしい物も見つからず、つまらない物だが‥‥」
「ううん‥‥、美味しいよ。」
「まあ、ウサギだからな‥。」
「それに、嬉しいよ。」
「そうか、助かる。」
sashie13.jpg

それからかなめが食べ終わるまで、二人が言葉を発することは無かった。
けれどそれは、決して居心地の悪いものでは無い。
窓はびっしり結露しており透明な玉が外の光をボンヤリと屈折させている。
外の寒さを伺わせたがこの小さな空間はとても暖かい。

「ソースケ‥‥」
ふいにかなめが言葉を発した。
「む?」
「有難う。」
「いや‥‥。」
「助けてくれて、有難う。」
「ああ‥‥‥‥‥‥‥‥」
壁の方を向いてかなめは言ったので表情は見えないが、声は僅か震えていた。
「人間、一人じゃ生きてけないから。」
「‥‥‥‥そうだな」

また二人は黙ると、遠く響く車の音だけが聞こえている。
一瞬全ての音が途絶えた。その時突然、宗介がぽつりと呟いた。

「とても、心配した‥‥。」

小さな小さな、控えめな声。けれど音の無い世界でそれは確かに響いた。

かなめはまだ起きていた。
彼はそれを察しているのだろうか?彼女は思うが、宗介は自分の想いが聞かれていも、構わなかったのかも知れない。
願わくば届く事を‥‥、そんな控えめな告白だった。
その低く、穏やかな声はかなめの耳に心地よく残って、勝手に涙がこぼれ落ちる。

するとふいに、掌に温かな感触が宿った。

――どうしてだろう?どうして彼は手を握ってくれるのだろう?
かなめはふと不思議に思った。

孤独には慣れた、強くなったつもりだった。
けれど。
ただそれらに背を向けて生きていただけだという事を、直視しないで居ただけだという事を、ふとした瞬間思い知る。

例えば、日常と言うパズルから大事な1ピースが欠けたとき。
例えば、一人恐怖に怯える時。

そうして同じ波長で呼び合った二人は手と手を重ねる、何故だろう?
それはきっと。繋いだ先に、温もりが、存在が在るから。
誰も、一人では生きてなどいけないから。
全く別の道を歩んできた二人だけれど、心の奥底に深く刻まれたそれを誰より知っていた。
本当は、孤独など嫌いな二人。その声にならないコミュニケーション。

かなめはゆっくりと、目を瞑る。
視界に闇のスクリーンが下りる。

――だけど、ほら、もう大丈夫よソースケ。

目を閉じても、例え彼女を待ち受けるその闇がどれ程深くても決して。一人じゃない。

 


冬の風物詩を・・・と思って軽い短編のつもりで書いたら、なんだか大事に。;
一人暮らしで死ぬほど苦しい病気をした時ほど、心細い事は無いなと思ったことがあります。

病気の当人もだけども、カナちゃんが学校に居ないと、宗介もきっと寂しかろうと。笑
そんな話ですが、割と宗介の内面をテーマにする事が多いんですが、今回主に千鳥さんの事を。
宗介が過酷な人生を歩んでるのは勿論ですが、千鳥さんもとても気の毒な子だなと思います。
きっと何か根底にあるものは二人とも似ているのじゃないかなー。

そんなこんなで、またもワケワカランファンタジー感バリバリでスイマセン。
色々薬の事とか嘘っぱちです、後生ですから流してください。;
ご拝読感謝します。

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